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竹芸を高めた人物、人間国宝 生野祥雲斎
別府竹細工を語る上で、避けては通れない人物がいます。それが、別府生まれの竹芸家、生野祥雲斎。日用品やお土産品だった竹細工を芸術の域にまで高めた人物で、竹工芸の分野で初めて人間国宝に認定されました。「竹の神童」とも呼ばれる祥雲斎の人となりや、作品、技術に迫ります。今回は、全国でも珍しい竹工芸を専門とする学芸員である、OPAM(大分県立美術館)の武関真衣さんにお話を伺いました。
生野祥雲斎について
生野祥雲斎。本名、生野秋平(あきへい)は、1904(明治37)年、別府市の農家に生まれました。10代後半になり、“唐物(からもの)風”と呼ばれる青銅器を模した籃を見た時、「自分もこれを作りたい」と、竹工芸の道を志します。1923(大正12)年、19歳。当時の別府で高級花籠の名手として知られていた佐藤竹邑斎に師事し、竹工芸の基礎の基礎、1本の竹から細いヒゴを作り出す「ヒゴ取り」から学び始めます。そして通常の半分の2年で修行期間を終え、21歳で独立。夢雀斎楽雲と名乗り始めました。
同じ年に完成させたのが、唐物風の『したたれ編仿古(あみほうこ)花籠』。数種類の編組技法を駆使した緻密さ、左右対称で繊細な造形には、100年経った今でも魅了されます。さらに、竹の道を志してわずか2年の作品とは思えない完成度の高さに、誰もが驚いてしまうはずです。大分では2人目となる竹工芸分野での人間国宝に認定された岐部笙芳さんも、「(わずか2年でこれを作るとは)竹の神様の生まれ変わりではないか。このような作品は、100年や200年のうちでも生まれないと思う。素晴らしい」と表すほど。一方で、「おそらく、寝食を惜しんでずっと作り続けていたのだと思います」と、OPAMの学芸員、武関真衣さんが教えてくれました。才能と感性に加え、人一倍の熱意と努力で取り組んでいたのでしょう。
その後も作品を作り続けますが、より芸術性の高い作品作りに取り組むようになったのは、1936(昭和11)年ごろ。同郷で幼馴染の洋画家・宮崎豊氏が「文展」に初入選したのがきっかけでした。身近な人の活躍に刺激を受け、自身も文展へ挑戦。3度の落選を経験し、1940(昭和15)年、ついに『八稜(はちりょう)櫛目編盛籃』が、その年の文展に代わる「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」で初入賞しました。直線的で斬新な櫛目編と、伝統的で緻密な編みで構成された盛籃形式の一連の作品は、古典的編組法と新しい造形的感覚の取り合わせが評価され、その後も次々と入選を続けます。戦後、当時勤めていた「大分県工業試験場別府工芸指導所」(別府市)も辞職。「作家として生きていく」と心を決めます。
作家としての転機となったのは、1953(昭和28)年の第9回日展の落選。大きな衝撃を受けますが、それまでの伝統的な盛籃や花籃の形式での作品制作からの脱却を図り、大胆な曲線や彫刻的な造形美の作品を完成させていきます。日展での入選を重ねながら、さらに作品性や芸術性を高め、1967(昭和42)年、竹芸で初となる重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。1969(昭和44)年には紫綬褒章を受賞。国内外に芸術性の高い作品づくりが認められてからも、大分に住まい、創作を続けました。
1974(昭和49)年、69歳で亡くなった後も、国内外の竹工芸界や作家に強く影響を与え続けています。
※参考資料:OPAM大分県立美術館 2024年 「生誕120年・没後50年 生野祥雲斎展」図録
同じ年に完成させたのが、唐物風の『したたれ編仿古(あみほうこ)花籠』。数種類の編組技法を駆使した緻密さ、左右対称で繊細な造形には、100年経った今でも魅了されます。さらに、竹の道を志してわずか2年の作品とは思えない完成度の高さに、誰もが驚いてしまうはずです。大分では2人目となる竹工芸分野での人間国宝に認定された岐部笙芳さんも、「(わずか2年でこれを作るとは)竹の神様の生まれ変わりではないか。このような作品は、100年や200年のうちでも生まれないと思う。素晴らしい」と表すほど。一方で、「おそらく、寝食を惜しんでずっと作り続けていたのだと思います」と、OPAMの学芸員、武関真衣さんが教えてくれました。才能と感性に加え、人一倍の熱意と努力で取り組んでいたのでしょう。
その後も作品を作り続けますが、より芸術性の高い作品作りに取り組むようになったのは、1936(昭和11)年ごろ。同郷で幼馴染の洋画家・宮崎豊氏が「文展」に初入選したのがきっかけでした。身近な人の活躍に刺激を受け、自身も文展へ挑戦。3度の落選を経験し、1940(昭和15)年、ついに『八稜(はちりょう)櫛目編盛籃』が、その年の文展に代わる「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」で初入賞しました。直線的で斬新な櫛目編と、伝統的で緻密な編みで構成された盛籃形式の一連の作品は、古典的編組法と新しい造形的感覚の取り合わせが評価され、その後も次々と入選を続けます。戦後、当時勤めていた「大分県工業試験場別府工芸指導所」(別府市)も辞職。「作家として生きていく」と心を決めます。
作家としての転機となったのは、1953(昭和28)年の第9回日展の落選。大きな衝撃を受けますが、それまでの伝統的な盛籃や花籃の形式での作品制作からの脱却を図り、大胆な曲線や彫刻的な造形美の作品を完成させていきます。日展での入選を重ねながら、さらに作品性や芸術性を高め、1967(昭和42)年、竹芸で初となる重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。1969(昭和44)年には紫綬褒章を受賞。国内外に芸術性の高い作品づくりが認められてからも、大分に住まい、創作を続けました。
1974(昭和49)年、69歳で亡くなった後も、国内外の竹工芸界や作家に強く影響を与え続けています。
※参考資料:OPAM大分県立美術館 2024年 「生誕120年・没後50年 生野祥雲斎展」図録
「用」のなかにある「美」
祥雲斎の作風は、しばしば「彫刻的」と表されます。
竹工芸の基本は、「編み」と「組み」を合わせた編組(へんそ)の技法。中でも、「編み」には名前の付いたものが複数あり、別府竹細工には8種類の伝統的な編み方があるのですが、「祥雲斎の作品の見どころは、“編み”の技法だけではなく、“組み”の技法にあります。彫刻的と評される作品群には、この“組み”の技法がよく使われています」と、武関さん。カットグラスをイメージしたと言われる『陽炎』(1958年)は、その直線的な美しさを、“編み”ではなく、“組み”で表現しています。さらにこの作品は、足の部分に金属を使うなど、異素材との組み合わせも現代的。日展に出展された当時は、中央に足と同じシルバーの金属の「落とし」も入っており、今見ても、洗練されたモダンな印象を受けます。竹の持つ性質をよく理解し、その表現方法を突き詰めていたことが表れている作品でもあります。
竹工芸の基本は、「編み」と「組み」を合わせた編組(へんそ)の技法。中でも、「編み」には名前の付いたものが複数あり、別府竹細工には8種類の伝統的な編み方があるのですが、「祥雲斎の作品の見どころは、“編み”の技法だけではなく、“組み”の技法にあります。彫刻的と評される作品群には、この“組み”の技法がよく使われています」と、武関さん。カットグラスをイメージしたと言われる『陽炎』(1958年)は、その直線的な美しさを、“編み”ではなく、“組み”で表現しています。さらにこの作品は、足の部分に金属を使うなど、異素材との組み合わせも現代的。日展に出展された当時は、中央に足と同じシルバーの金属の「落とし」も入っており、今見ても、洗練されたモダンな印象を受けます。竹の持つ性質をよく理解し、その表現方法を突き詰めていたことが表れている作品でもあります。
『陽炎』や、『炎』(1957年)、さらには工房兼自邸『此君亭』から見える別府湾の景色から着想を得たと言われている『竹組 波 風炉先屏風』(1954年)など、“形”のない自然現象を形象した作品によって、独自の作風を完成させていきました。これまでの竹細工の大きな役割である“用”を超えた、竹の表現の可能性、美、芸術性を突き詰めていったのです。
「若い頃から骨董や古美術が好きで、蒐集していました。『此君亭』にも、古美術や骨董のコレクションがたくさんあります。きっと美しいものを見る目が生活の中に根付いていて、美しいものを素直に美しいと見ることができる方だったのだと思います」と、武関さん。
芸術的な竹工芸にも打ち込む一方で、産業工芸も続けていた祥雲斎。作品作りに没頭する中で得た技術や発想を、工芸品としての竹細工にも盛り込んできました。そうやって、“美”を高める芸術性だけでなく、“用”的にも優れた産業工芸の発展にも寄与。別府、大分の竹芸、竹細工両面に大きな影響を残しています。
※参考資料:OPAM大分県立美術館 2024年 「生誕120年・没後50年 生野祥雲斎展」図録
芸術的な竹工芸にも打ち込む一方で、産業工芸も続けていた祥雲斎。作品作りに没頭する中で得た技術や発想を、工芸品としての竹細工にも盛り込んできました。そうやって、“美”を高める芸術性だけでなく、“用”的にも優れた産業工芸の発展にも寄与。別府、大分の竹芸、竹細工両面に大きな影響を残しています。
※参考資料:OPAM大分県立美術館 2024年 「生誕120年・没後50年 生野祥雲斎展」図録
生野祥雲斎が見ていた未来
「別府の竹工芸は、本当に独特だと思います」と、武関さん。
元々は、質の良い真竹が取れるという地域的な特徴があり、竹細工が盛んに。さらに、湯治場や宿で日用品として使っていた竹細工をお土産として購入して地元に持ち帰る人が多くなり、『別府竹細工』が全国的に知られるようになりました。竹細工の職人が増える中で、祥雲斎のような作家として作品を制作していく人も生まれます。中でも祥雲斎は、国内外で高い評価を受け、人間国宝に認定されてからも、大分に留まって制作を続けました。
先人から受け継いだ伝統的で美しい編み方を、さらに発展させながら作品を作った祥雲斎。後に続く多くの竹芸家や職人たちもここ大分で技を継承し、現代の作家がさらに技術を派生させ、新たな作品が生まれ続けています。「そういう意味でも、大分は独特だと思います」と、武関さん。
岐部さんも、祥雲斎をはじめとする竹工芸の先人が「作品や技術を、別府に残してくれたことが非常にありがたい」と、ことあるごとに語っています。「大分には、竹の作品がとても多く残っている。祥雲斎さんだけでなく、多くの竹芸家の先人が竹芸を続けてきてくれたおかげで、竹の文化が大分に残り、今の私もある」。
その“竹の文化”は、展覧会に出品するような作品だけではなく、私たちが購入できる竹細工にも受け継がれています。便利、使いやすい。というだけでなく、日常の生活やいつもの食卓を、少し豊かにしてくれる“文化”と“美しさ”が、別府の竹細工には息づいています。
元々は、質の良い真竹が取れるという地域的な特徴があり、竹細工が盛んに。さらに、湯治場や宿で日用品として使っていた竹細工をお土産として購入して地元に持ち帰る人が多くなり、『別府竹細工』が全国的に知られるようになりました。竹細工の職人が増える中で、祥雲斎のような作家として作品を制作していく人も生まれます。中でも祥雲斎は、国内外で高い評価を受け、人間国宝に認定されてからも、大分に留まって制作を続けました。
先人から受け継いだ伝統的で美しい編み方を、さらに発展させながら作品を作った祥雲斎。後に続く多くの竹芸家や職人たちもここ大分で技を継承し、現代の作家がさらに技術を派生させ、新たな作品が生まれ続けています。「そういう意味でも、大分は独特だと思います」と、武関さん。
岐部さんも、祥雲斎をはじめとする竹工芸の先人が「作品や技術を、別府に残してくれたことが非常にありがたい」と、ことあるごとに語っています。「大分には、竹の作品がとても多く残っている。祥雲斎さんだけでなく、多くの竹芸家の先人が竹芸を続けてきてくれたおかげで、竹の文化が大分に残り、今の私もある」。
その“竹の文化”は、展覧会に出品するような作品だけではなく、私たちが購入できる竹細工にも受け継がれています。便利、使いやすい。というだけでなく、日常の生活やいつもの食卓を、少し豊かにしてくれる“文化”と“美しさ”が、別府の竹細工には息づいています。
鑑賞のすすめ 「今、私たちは“見ることで出会う”」
芸術性の高い祥雲斎の作品は、別府市竹細工伝統産業会館や、OPAM(大分県立美術館)、大分市立美術館などで身近に“出会う”ことができます。国内でも珍しい、竹工芸を専門とする学芸員・武関さんに、祥雲斎の作品の鑑賞ポイントを伺いました。
現存する最も古い作品は、『したたれ編仿古(あみほうこ)花籠』です。祥雲斎が竹の道を進み始めてわずか2年目の時に制作したものですが、技術的にも完成されています。まずは歪みがなく、左右対称も極めて正確。これが、ひご取りから初めて2年目の制作というのが信じられないくらいの技術力です。
竹工芸の作品を見ていると、この『したたれ』のような、作品の編み目の細かさに目がいき、「編み目がどうなっているの?」と、気になることが多いと思います。その見方ももちろん正しいですし、楽しいのですが、私はもう少し目線を広げて、作品全体を見た時の全体の雰囲気と編みのマッチングを見ていただくのも面白いと思います。『陽炎』や『波』など、作品タイトルとも合わせて、「全体をこういうふうに表現したかったから、ここには“透かし”を入れてみたのかな」など。絵画などもそうですが、タイトルとの関連は必ずありますから。その関係やつながりを見たり、想像するのも楽しいと思います。というか、私はそうやって楽しんでいます(笑)。
現存する最も古い作品は、『したたれ編仿古(あみほうこ)花籠』です。祥雲斎が竹の道を進み始めてわずか2年目の時に制作したものですが、技術的にも完成されています。まずは歪みがなく、左右対称も極めて正確。これが、ひご取りから初めて2年目の制作というのが信じられないくらいの技術力です。
竹工芸の作品を見ていると、この『したたれ』のような、作品の編み目の細かさに目がいき、「編み目がどうなっているの?」と、気になることが多いと思います。その見方ももちろん正しいですし、楽しいのですが、私はもう少し目線を広げて、作品全体を見た時の全体の雰囲気と編みのマッチングを見ていただくのも面白いと思います。『陽炎』や『波』など、作品タイトルとも合わせて、「全体をこういうふうに表現したかったから、ここには“透かし”を入れてみたのかな」など。絵画などもそうですが、タイトルとの関連は必ずありますから。その関係やつながりを見たり、想像するのも楽しいと思います。というか、私はそうやって楽しんでいます(笑)。
『陽炎』など、祥雲斎はよく形のないものを竹で表現しているのですが、見ていると次第に動きが見えてくるんです。『波』は波先の動きが感じられたり、『炎』では坩堝の中の様子が見えてきたり。そこもすごいな、と思います。
芸術性が高くダイナミックな『竹華器 怒涛』、彫刻的な特徴がよく表れた『陽炎』。どの作品も、お客様からしばしば「これは本当に竹ですか?」という質問を受けます。確かに、私たちが知っている、“まっすぐな竹”からはイメージできない作品が多いと思います。(繊細で緻密な編み目の)『したたれ』もその一つだと思うのですが、私は「竹じゃないと、こういう弾力や反発力のある“張り”は出ないと思います」と、説明しているんですよ。
また、祥雲斎の作品に限らず、竹工芸の作品全体を通してぜひ見てほしいのが、作品の“影”。美術館のインスタでも紹介しているのですが、展示室では上から照明を当てているので、展示台に影が映ります。それも作品ごとに違っていて、とてもきれいなんです。ぜひ、影にも注目してみてください。
芸術性が高くダイナミックな『竹華器 怒涛』、彫刻的な特徴がよく表れた『陽炎』。どの作品も、お客様からしばしば「これは本当に竹ですか?」という質問を受けます。確かに、私たちが知っている、“まっすぐな竹”からはイメージできない作品が多いと思います。(繊細で緻密な編み目の)『したたれ』もその一つだと思うのですが、私は「竹じゃないと、こういう弾力や反発力のある“張り”は出ないと思います」と、説明しているんですよ。
また、祥雲斎の作品に限らず、竹工芸の作品全体を通してぜひ見てほしいのが、作品の“影”。美術館のインスタでも紹介しているのですが、展示室では上から照明を当てているので、展示台に影が映ります。それも作品ごとに違っていて、とてもきれいなんです。ぜひ、影にも注目してみてください。
作品で繋いだ歴史に、想いを馳せてみる
技術力だけでなく、発想力もあり、竹の特性もよく理解した上で、“美しいものを見る目”も確かだった祥雲斎。好きだった骨董品に囲まれ、穏やかな別府湾を眺めながら、竹の新たな表現を探り、独自の作風で竹工芸を発展、進化させながら、晩年まで大分で作品作りを続けました。そして彼の残した作品や技術は、大分県立竹工芸訓練センターから輩出される多くの竹工芸作家に受け継がれています。
大分には、祥雲斎の作品が数多く残されています。美術館や伝統産業会館、公共施設などで、“ホンモノ”と対面できる一方で、現在を生きる竹工芸作家にも、祥雲斎をはじめとする別府竹細工の名作家の技術や意匠、想いが引き継がれています。それは、展覧会に出品される大作だけではなく、日用品として使える竹細工や産業的な工芸品の中にも。職人が手作りした籠やざる、スプーン1つにも、“用”を極めた使いやすさや温かみがあり、これまでの芸術家から受け継いできた美と伝統を感じることができます。そんな竹細工がテーブルや棚に1つあると、きっと日常に新たな彩りが生まれるはず。まずは、手に取ってみませんか?
特集 JOURNAL
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別府の竹工芸を守り、伝える人間国宝 岐部笙芳
2024年秋、大分県内では、“竹細工を芸術へと高めた人物”とも言われる生野祥雲斎に次ぐ、竹芸分野で2人目の人間国宝 岐部笙芳が誕生しました。
今回は、岐部さんが竹工芸の道へ踏み出したきっかけや、苦難の道のりなど、竹工芸と歩む人生について、そしてこれからの未来を創る竹工芸の後継者育成についてもお話を伺いました。CATEGORY- 知る
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竹芸を高めた人物、人間国宝 生野祥雲斎
別府竹細工を語る上で、避けては通れない人物がいます。それが、別府生まれの竹芸家、生野祥雲斎。日用品やお土産品だった竹細工を芸術の域にまで高めた人物で、竹工芸の分野で初めて人間国宝に認定されました。「竹の神童」とも呼ばれる祥雲斎の人となりや、作品、技術に迫ります。今回は、全国でも珍しい竹工芸を専門とする学芸員である、OPAM(大分県立美術館)の武関真衣さんにお話を伺いました。
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